【視聴数 309105】
【チャンネル名 三度の飯より釈迦が好き【釈迦切り抜き】】
【タグ 釈迦,切り抜き,Vtuber,花畑チャイカ】
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【チャンネル名 三度の飯より釈迦が好き【釈迦切り抜き】】
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このコメ欄見れば分かるよなwww
嫌いだったら観ないよなぁ普通
嫉妬やね
客層が違うから好みも違うのは当たり前だな(*・ω・)
釈迦さんは客観的に分析して言ってくれて助かる(画面構成の好みの違いの話は面白い)
うどんが苦手でそばが好きなら、うどん屋を避けてそば屋に行けばいいのに、なぜかうどん屋に乗り込んで文句を言ってからそば屋に行くのが謎のアンチ
???「嫌ってないよ!?理解できないだけ!!」(大声)
じゃあ黙っとけよって話だよな笑
わざわざ自分の信者煽っていい大人がよ
差別思想を秘めたる男は、最期は自分が差別される
自業自得だね
教室とか電車みたいな公共の場で、下ネタとV趣味全開の会話されると、かなりキツい。
(自分もV観るけど、凄く肩身が狭い。この人のここが面白くて好き。ならまだしも、ものすごくエロいだの、百合を想像するともっと好きになる。だのを堂々と教室でぶちかます。そのせいで、他は分からないけど、少なくともうちの教室では、Vへのヘイトが強い。)
そのため、自分もV好きだけど、煙たがれる理由もものすごくわかる
純粋にただただVを好きなだけでこんな言われるの辛い
私もVファンだけど、外で内輪ノリしたり急に布教したりするからファンが嫌われて、ただ叩きたいやつがそれに便乗してV叩いてるって感じだと思ってる
泣きました、僕は衛門でV好きで梨民でVアンチです
生理的に無理ってのが便利というコメントにわりと共感したのと、この便利な言葉に常々疑問を感じてるので一度よく調べてみた。
生理的嫌悪とは?
一般的にその反応に至る理由を詳細に述べなくても否定できる「感覚を重視した判断」なのだけど、それを支えている「客観的に存在する道徳的な価値を察知する機能」はまず存在しないと言われている。
例えば生理的嫌悪を「宗教や文化に関係なく人類に備わった道徳観、正義感情に根ざしたもの」と論ずる人が居るのだけど、その根拠として「カニバリズムを想像して嫌悪感を催さない人は居ない」と言っている。
ところが一定の文化圏ではこれが許容されていたりする、また性犯罪や近親相○なども「嫌悪感の例」として上げられているが上記のように否定できてしまう。
長いので結論を言うと生理的嫌悪の正体は「有機物に共通する生物学的な価値を察知する吐き気」だと言われている。
そして人間の「吐き気の対象」は経験によって作られる、例えば女性が見た目のキモいオジサンを「生理的に無理」というのはそれまで生きてきた経験上から「キモいオッサン⇒清潔感が無い⇒たぶん不潔⇒吐き気⇒生理的嫌悪」いう流れで起きる、かなりわかりやすいのではないだろうか?
だが実際は女性のほうが一週間風呂に入らない海洋生物系Vtuberでオッサンは毎日風呂に入っていて生物的にはバクテリアなどの保持数が少ない可能性は大いにあると言える。
2つ目の例としてとても都合の良いのが「虫」だろう、成人になると多くの人が「虫は無理!生理的にダメ!」と言うが一方で「子供の頃は普通に触れたのにな~」という発言も目にする。
これはとてもいい例で無知な時点で虫を手づかみしていた人も親が「ダメ!」「汚い!」「毒がある!」などと叱ったりTVなどで害虫の情報(猛毒のスズメバチが!など)を多く取り入れて成長することで「虫⇒毒⇒不潔⇒吐き気⇒生理的嫌悪」という調教が行われているわけだ。
実際に嫌われがちな爬虫類や昆虫の愛好家は犬や猫の飼育者よりも対象生物の知識の保有量がものすごいことが多い、好きだから詳しいもあるが「詳しいから気持ち悪くならない」とも言えるのだ。
まとめると「生理的嫌悪」などというフワッとした理由のない感情など無く、そこには「よく知らないorネガティブな情報で誤解している」とか「心の底では嫌いな理由があるけど保身のために生理的嫌悪を使っている」のいずれかと言える。
参考文献:「生理的嫌悪」をめぐる混乱 ニューヨーク州立大学バッファロー校博士課程 有馬 斉
動画内のコメントにもあるけど、俺もVは好きで見たりするけどVの視聴者のことは嫌いなんだよな
嫌いなのにわざわざ自分からアンチコメ送ったりするの謎
好きな子にちょっかい出したくなるアレか?
こういう動画出ると、毎回どっちも自分の立場守るために、お互い叩きあってるのんすごいよね。
コメント2003って数字見えた瞬間吹いた
どのアンチもそうなんだけど嫌いなら見なきゃいい話なのになんでわざわざ見に行くのか理解できない。
なんなら今のYoutube視聴履歴を参考におすすめ動画提示するから荒らしに行くとおすすめに更に表示されるようになる負の悪循環なのに。
共感しかない
VTuberは配信者に求められるビジュアルが必要ないという点において革新的
顔の善し悪しだけでなく、性別、国籍、人種すらも超越して同じプラットホームで活動できるっていうのが多様性の極み
vに限らずなんだけど、第三者にお互いの意見を聞いてもらった上で判決を下すみたいなものが欲しい。お互い何らかの意思を持って行動してると思うし、自分が正しいと思ってるから多くの人に見られる所でコメントしてると思うから、ボカボカ話し合って欲しい。んで第三者に決めてもらう。負けた方には罰つけて、討論の場には参加しないようなら問題となる行いを禁止すればいいのになと思う。判決下せないような内容には無意味だけど、アンチには公然の目の前で自分たちの意思を語って欲しい。
2:51辺りの話とか見るとアンチの整合性の無さを始めとして色んな物が言語化されてが浮き出てくるのが分かる
「嫌なら見るな」と単に言えば楽だけど、「嫌」の源泉は何かという。
それが単に人の需要と供給であったり、あるいは根本の認識の違い。
ただコメ欄にもある通りどっかの配信者が過激に煽るようなフレーズ生み出したり、挙げ句アフィブログが感情だけで炎上扇動させたり、それに乗せられて同じ業界でも対立煽りが生まれたり。
根本的な認知の歪みが土台として固定されたまま上に積み上げてくから「気持ち悪さ」が先行する批判が多くなっている。
そういう中で一度こういうフラットめな目線の意見が出てくるのはとてもありがたい話。
元々Youtuberを始めとしたストリーマーがTVに及べる力を持って、その続きにVtuberが一般化し始めてる。
その流れの中に「新しいから」「分からないから」批判するを辞めなければ次のコンテンツが同じ憂き目にあって潰れるだけだろう。
かつてYoutuberが受け、今Vtuberが受け続ける、その方向性の非難の根拠と必要性とは。